昭和40年代の結核は患者数、死亡者とも我が国最大の感染症であり国民に恐れられていました。家族1人でも結核を発病すると、「あの家系は肺病の家系である」「顔色が悪い人は結核じゃないか…」という具合に、現在では考えられない人権を無視した中傷的な言動が日常的にありました。
進学時の健康診断の際、レントゲン検査で結核が発見され、たくさんの方が進学を断念せざるを得なかったということ。また、公衆の面前で仕事を行っている公務員や学校の先生の方にも、結核発病者が多数おられたことを記憶しています。県内には教職員の結核療養所があった時代もあり、当時いかに結核患者が多かったのかと思います。また、検診スタッフの医師、看護師、診療放射線技師、臨床検査技師の方も結核に感染された方が多く見られました。精密検査の際、結核の疑いのある方(ハイリスク者)と接触するため多かったのだと思われます。
住民検診では各地区に「結核婦人会」があり、受診率向上のため検診のお手伝いをしてもらっていました。当時は結核検診の実態調査も行われており、対象地区を数か所選んで受診率100%になるまで検診を続けなければならず、帰りが夜中になることもありました。 当時、結核がいかに恐れられていたか、また、結核検診にいかに関心が高かったかが伺えます。 |